湯来・湯の山温泉郷歴史
HISTORY
「広島の奥座敷」と呼ばれる湯来温泉の歴史は、さかのぼること約1500年、湯の山温泉の歴史は約1200年と言われています。白鷺が湯に浸かり、傷を癒しているところを発見したことが湯来温泉の歴史の始まりといわれています。湯来温泉から車で約10分の所にある湯の山温泉は、江戸時代に広島藩主の湯治場として栄えた由緒ある温泉です。湯来温泉及び湯の山温泉は、広島市北西部の佐伯区湯来町に位置しており、町の中心部を貫流する太田川水系(一級河川)水内川等が深い谷を刻んだ、閑静で豊かな自然に包まれています。 地質は花崗岩を主とし、水内川沿いの湯の山断層線に沿って、花崗岩の深い割れ目から温泉が湧き出しています。 昭和30年に湯来温泉が、昭和47年に湯の山温泉が国民保養温泉地に指定されました。また、 1991年7月には、両温泉の効能と自然環境が認められ、「湯来・湯の山温泉」として環境庁の「国民保健温泉地」に指定されています。
HISTORY
「広島の奥座敷」と呼ばれる湯来温泉の歴史は、さかのぼること約1500年、湯の山温泉の歴史は約1200年と言われています。白鷺が湯に浸かり、傷を癒しているところを発見したことが湯来温泉の歴史の始まりといわれています。湯来温泉から車で約10分の所にある湯の山温泉は、江戸時代に広島藩主の湯治場として栄えた由緒ある温泉です。湯来温泉及び湯の山温泉は、広島市北西部の佐伯区湯来町に位置しており、町の中心部を貫流する太田川水系(一級河川)水内川等が深い谷を刻んだ、閑静で豊かな自然に包まれています。 地質は花崗岩を主とし、水内川沿いの湯の山断層線に沿って、花崗岩の深い割れ目から温泉が湧き出しています。 昭和30年に湯来温泉が、昭和47年に湯の山温泉が国民保養温泉地に指定されました。また、 1991年7月には、両温泉の効能と自然環境が認められ、「湯来・湯の山温泉」として環境庁の「国民保健温泉地」に指定されています。
日本の原風景に出会う。
日本の原風景に出会う。
湯来温泉は、この絵のように、江戸時代、広島藩を治めた浅野氏お抱えの絵師、岡岷山(おかみんざん)による「都志見往来日記・同諸勝図(1797年)」にも描かれています。当時は右上のように、多田村温泉と呼ばれていたことがわかります。湯来温泉は1950年に現在の形で開発されましたが、この赤丸の場所は、1989年に共同の露天風呂として整備され、2000年に閉鎖されたものの、2019年に、湯来温泉湯元貸切露天風呂「誠の桧湯」として、再復活します。古くからの歴史を今でも感じられる、温泉です。
息が吹き込まれた場所。
息が吹き込まれた場所。
江戸時代に広島藩主浅野氏の湯治場として栄えた湯の山温泉ですが、湯屋を含む本殿などの「湯の山明神社」は国の重要有形民俗文化財に指定されています。湯の山には古くから鉱泉の湧出があり、寛延年間(1748~1750)以来、藩主の入湯もあって湯の山明神の霊験の湯として知られていました。現在は旧湯坪の崖下に共同浴場(湯の山温泉館)を新設して使用しています。その上段には旧来の湯坪があり、湯屋の板壁には入湯者の墨書の数々が残されているなど、当時の姿や医療とそれにまつわる信仰の様相を伝えています。
近年は旅館の廃業が進んでおり、温泉地の再生も一つの大きな課題となっています。これからも、湯治場としての歴史や文化、風土を大切にしながら、周囲の自然と調和し、 保養・休養・療養の場としての雰囲気を残した特色ある温泉地を目指していきます。